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小樽市漁協 高島 未来に繋げるにしん漁
未来に繋げるにしん漁
凍てつく冬の日本海、深い藍色の海面が乳白色に染まる。にしんの産卵の群れにより、海の色を変える群来(くき)の発生だ。にしん漁の全盛期にはよく見ることができたが、昭和30年以降にしん漁の衰退と同時に幻となっていた。群れが戻り始めた約7年前から毎年群来の発生が続き、閑散期となっていた冬の漁師さんたちを活気づかせている。

一日で新車が買えるほどのにしんを水揚げしたという漁師さんがいる。高島地区で40年以上漁を続けているベテラン漁師の成田正夫さん。祖父の代からの漁師一家で、明治時代のにしん漁全盛期の話を聞いて育ったそうだ。昔と違うのは今の漁師さんは小さなにしんを獲らないように、各自で網目の大きさに規制をかけている。現在は二人の息子さんも4代目漁師として同じ海で働いているが、若い世代の漁師さんにとっての「にしん漁」は、獲れるだけ獲っていた時代とは違う思いがあるという。
ここ数年で群れが戻ってきたのは、自然の力だけではない。毎年続けている稚魚放流の努力があるからだと教えてくれた。石狩後志管内での水揚はこの数年で毎年約1000から3000トンと、まだその年によって変動がある。「海の資源は限られているからこそ、今からもっと厳しい漁獲規制が必要だ」と漁師さん自身が声を上げいる。若くて小さなにしんは鮮魚としては出荷できなくても、加工品としては需要があるが、買い手がいるからといって根こそぎ獲ってしまうと再び絶えてしまう。これからの時代に必要なのは、小さい群れを捕まえないように網目のサイズ規制の徹底や、産卵が終盤を迎える前にやめる漁期制限。資源を枯渇させた歴史を繰り返してはいけないと訴えている。小樽には祖父から子、孫へと受け継がれてきたにしん漁の歴史がある。さらに次の世代へ繋げるため、獲りすぎない努力をする漁師さんたちがいるのだ。
お正月に欠かせない数の子や、北海道ならではのにしん漬けなど、昔から私たちの身近な食文化として深く関わりのあるにしん。寒さが続くこの時期は脂がのり、サッと塩をふったシンプルな塩焼きが美味しいそう。新鮮な子持ちなら塩漬けにするのがおすすめだと地元の人が教えてくれた。獲れたての卵は綺麗なオレンジ色で、一晩塩につけて即席数の子の完成。ポリポリとした食感でハシが止まらない。これからも私たちがにしんを食べ続けるには、若い漁師さんの取り組みが増々重要になるのだろう。

  • <出港準備> 4日続いた時化がやっとおさまった小樽の高島地区。 「今日こそは!」とにしんの群れを期待し、準備を始める漁師さん。
  • <夜明けの出港> 漁期間中は、海が明るくなると同時ににしん漁の船が漁場へと向かって行く。 成田さんは漁船・幸成丸(こうせいまる)に息子さんと乗り込み出港。
  • <漁場への移動> 前日に仕掛けた網を翌日の早朝に引き揚げるために漁場へ。 時化が続いてため、引き揚げてみないとにしんがかかっているかは分からない…nextpreviousclose
  • <にしん刺し網漁> 漁場に仕掛けた網をドラムで巻き上げて、網ごと籠へと入れていく。 漁師さんの目線が海面からあがってくる網へと集中する瞬間だ。
  • <北の春を告げるにしん> 時化の影響で残念ながらこの日は大漁! とはいかず。。。 こんな日は寒さが余計に身に染みると苦笑いする成田さん。
  • <漁師さんの目印> 海にはたくさんの浮標が浮いている。旗には各漁師さんの目印が付いていて、 間違えて引き上げることは絶対にないそうだ。
  • <海の上での明日の準備> 網を引き揚げるとすぐに、明日の漁のためにおもりのついた網を仕掛ける。 1月から3月までの漁期間中はこの作業の繰り返し。
  • <海からそのまま番屋へ> 高島地区の前浜は埋め立て地になっていて、船置き場からそのまま番屋へ繋がる。 春以降はウニ、アワビ、シャコ、タコなどたくさんの魚介が水揚げされている。
  • <にしんの群れは同級生> 同じ時期に生まれ育った同級生のあつまりがにしんの群れとなるので、 ひとつの網にかかるにしんはほとんど同じ大きさで水揚げされる。
  • <めずらしいお客さん> 網にはにしん以外にもシャコやカジカが引っかかることがある。 この日は普段なかなか見ることないタコの赤ちゃんが網にかかっていた。